Fairy tale in Miyazaki of Japan 1 Okuragahama Story Once upon a time there was a girl who was named Okane in Iwawaki( today's address: Kanega Beach Hiraiwa Hyuga City in Miyazaki Prefecture ) . One day was the end of summer in some year, "It is fine today and the tide is good. So I'm going to dig clams in the shore" said she. In the early morning she went to the shore. She didn't see any people there, and white waves are quietly coming up and down in turns. Okane at once walked into the water till her ankles were below the sea's surface and she began digging clams. Clams here are fine and big. Some of them used to be 10 cm wide. They are receiving waves and dancing everywhere here on or in the sand. " Wow !" I found good one near my left leg's tows." " Another one, this is big." She was gathering them without seeing anything around her for a long time. She dugs and put them her bamboo basket again and again. A Buddhism priest was looking at her working for sometime, then he walked down to her through a path heading to the beach. He wore a black coat and a straw hat. His hands were covered with white patches. He looked like a pilgrim on the way to a destination. The priest stood near her, seeing her basket, and said to her. "Oh! Excellent clams. I have never seen such clams. Then he asked to her, "In fact lady, I could be donated a couple of them. Hearing his request, Okane suddenly changed color . And she put the basket behind her back. "These are not clams, all of them are stones." She said calmly. Hearing her reply, he put his head a little to one side, and said "Is it true.They are all stones, aren't they? They don't look like stones to me." He twittered and walked away along the beach. At the next beach another girl Okura also was digging clams. The priest again spoke to her here. "These are good clams, aren't they? I want a couple of clams." "Yes Sir. Priest, if you want these sorts of clams, you can take them as you wish." Said Okura. She willingly gave him the clams. The priest politely bowed to her and said “These are much appreciated gifts. If I eat them, then I would get energy again. You are the person who really has compassion. As Buddha will certainly get to know your kind mind, this beach will permanently yield the crams in the future.” The priest said with a smile. Okura's cheeks slightly reded,when she heared his saying, and she nodded her head. Then the priest walked away and his figure was gradually invisible along the shore. Since these events happened, Okura's beach has suddenly produse a lot of clams every years until today. But inspite of sherring same shore of Iwawaki, Okane's beach mysteriously wouldn't at all. It was around this time when the people of Iwawaki respectively called both beach Okura ga hama and Okane ga hama (Beach of Okura and Beach of Okane). Until today this area has developed crafting white goishi industry. Goisi is used when you play igo, a board game in Japan, similar to chess in the west. White goisi is crafted for clam shell of which center is cut at a 2cm circle of daoamiter. Nowadays Hyuga City has received the status that white goisi made in Okuragahama is the most supreme in Japan. 2 Amikake Kannon(Statue of Buddha who has spiritual power that makes faithfull
people get rich harvest of fishes) |
宮崎の昔話 1 お倉ヶ浜物語 昔々、宮崎県(その当時は「ひむか」といっていたかもしれない。)の現在の日向市岩脇という所に、お金という名前の若い女性がいた。 ある年の夏の終わりのある日でした。 彼女は、「浜辺に、はまぐり取りに行くには、今日は、晴れていてよい日だなあ。」と言って、朝早く、海辺に行きました。そこには誰もいませんでした。そして白い波が静かに寄せては離れていました。 お金は、すぐ、くるぶしが浸かるぐらい水の中に入り、砂を掘ってはまぐりを捕りはじめました。このあたりのはまぐりは、大きくて立派でした。中には10cmもあるものさえありました。それらのはまぐりが波を受けながら、砂の上をころころ転がっていました。「わあー、左足の指のそばにいいはまぐりがある。」、「あそこには、大きいのがある。」。 彼女は、夢中になって長い間、はまぐりを捕っていました。何度も何度も砂を掘っては、はまぐりを捕り背中の竹かごに入れました。 あるお坊さんが、しばらくの間、彼女がはまぐりを取っているのをじっと見ていました。そして彼女のいる浜辺の方へ近づいていきました。彼の手の甲には布あてが付けられていた。彼は諸国を行脚している修業僧のようであった。そのお坊さんは、お金のそばに立って、彼女の竹かごの中を見て、彼女に声をかけました。「見事なはまぐりじゃのう。こんなはまぐりは見たことがない。」。それからお坊さんはお金に、声をかけました。「実は娘さん、そのはまぐりを2,3個、私にめぐんではくださらんか。」。その声を聞いて、お金は、突然顔色を変えた。そして竹かごを背中の方へ隠した。「これらは、はまぐりじゃない。みんな石じゃ。」と彼女はとぼけて言った。それを聞いたお坊さんは、頭を少しかしげて言いました。「それは本当かね。みんな石かな。私には石には見えなかったがね。」。お坊さんは頭をかしげかしげ、その浜辺から立ち去った。 次の浜辺では、別な娘、お倉もはまぐりを捕っていました。お坊さんは、また彼女に声をかけた。「見事なはまぐりじゃのう。2,3個そのはまぐりを、私にくださらんか。」。「ああ、お坊さん、こんなはまぐりでよかつたら、いくらでも持って行ってください。」とお倉は答えた。彼女は喜んではまぐりを、お坊さんにさしあげた。お坊さんは丁寧に頭を下げて彼女に言った。「これらはありがたい贈りもんじゃ。私はこれを食べたら、また元気が出るじゃろう。あなたは本当に優しい心を持った人だ。仏様は、必ずあなたの優しい気持ちを知るじゃろうから、今後ずーっとこの浜辺では、はまぐりが捕れるじゃろう。」とお坊さんはほほえんで言った。お倉はほほを少し赤くして、お坊さんの話を聞いていました。そして頭を下げた。それからお坊さんは海辺の小道を歩いて遠ざかり、その姿は少しずつ小さくなっていきました。 このことがあって以来、お倉がいた浜辺では、突然、たくさんのはまぐりが、毎年捕れるようになり、それが今日まで続いています。しかしながら、同じ海岸の浜辺でありながら、お金がいた浜辺では、不思議にも全くはまぐりが捕れなくなった。土地の人々が、これらの浜辺をそれぞれ、「お倉ヶ浜」、「お金が浜」と呼ぶようになったのは、この頃からでした。 以来、今日までこの地方は、囲碁の白石を作る産業が発展してきました。碁の白石は、はまぐりをくりぬいて作られており、今日、宮崎県日向市は碁石の産地として知られ、ここのはまぐりから作られる白碁石は、最高の品質だと言われています。 2 網掛観音 宮崎市の北東にあたる阿波岐原の海辺一帯を、一ツ葉の浜といっている。大淀川の河口が入江をなしたところで、白砂青松の渚がつづいていて、非常に美しい地域である。入江には、さらに細長い入江がいくつも入り込んでいて、その奥にまた松林がある。このあたりは神話の伝説地、橘の小戸の檍原(阿波岐原)で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊(みそぎ)払いをした霊跡と伝えられている。 むかしのことである。この一ツ葉の入江に出て、毎日、網を打っている若い漁師がいた。 ある夏の日こと、漁師はいつものように朝早くから網を入れていたが、日が西に傾きかける頃になっても魚は一匹もかからなかった。ついにあきらめて引き上げようとすると、松林の中から漁師姿の若い娘が現れて、浜辺づたいにこちらにやってくる。すれちがいざまに背中の籠をのぞくと、銀色に光る鱸(すずき)がいっぱいに入っていた。 次の日も、漁師は一つ葉の入り江に出て網を打ち続けていたが、やはり雑魚一匹かからなかった。がっかりして帰り支度をしていると、きのうの娘が通りかかった。見れば背中の竹籠にはみごとな鱸(すずき)がかさなりあってはねている。漁師は思わず、どこで捕ったのかと声をかけると、その娘は、「観音経をそらんじなされ。観音経を唱えながら、一つ葉の浜に網を入れてみなされ。」といって、足早に立ち去っていった。 漁師は夜どおし経文をそらんじて、翌朝、それを唱えながら一ツ葉の入江に網を入れたところ、やがてずっしりと手応えがあって、黄金色に輝く観音像がかかった。網から取り出してみれば、楠を刻んだ45.5cmほどの御像で、魚籃(ぎょらん(びく))を手にした魚籃観音であった。あまりに尊く、畏れおおいので、漁師はこの観音像を檍村の浮之城にある正光寺に奉納しようと思った。山門をくぐりかけると、かたわらに例の娘によく似た美しい女がたたずんでいて、漁師を見るなり近寄ってきた。 「あなたは四十右衛門さんでしょう。私は豊後の国東(くにさき)から今朝方ここに着いたばかりです。観音様のお告げで自分の夫になるものは那珂郡の那珂村(現在の宮崎市住吉町)に住む四十右衛門(よそうえもん)だと知らされ、はるばる訪ねてまいりました。」 女は、お告げのとおり金色の観音像を抱えてのぼってくる男を見て、すぐに四十右衛門だとわかったのだという。漁師は喜んで女を妻に迎え入れたが、それからは驚くほど大漁がつづき、捕れた魚は女が町に売りに行けばまたたく間に売れた。この漁師がのちに那珂群一の分限者(金持ち)となった清水四十右衛門であるという。 宝寿山正光寺に奉安された魚籃観音は、またの名を網掛観音と呼ばれて、いまなお多くの人から信仰を集めている。寺の名を正光寺というのは、観音像が海中から光を発したので、それにちなんでつけられたといわれ、平家の武将 平の景清の創建であると伝えられている。 |